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電車で隣りに座った女が津山三十人殺しをWikipediaで検索してたze

私の英語学習歴

id:anfieldroadさんの記事(http://d.hatena.ne.jp/anfieldroad/20110301)に応じて「私の英語学習歴」というテーマからの連想でだらだらと書いてみた。鼻につく箇所もあると思いますがあしからず。
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思い出してみると最初の英語との出会いは母親がセールスに負けて買ってしまったブリタニカの英語教材だっただろうか。とは言え買っては見たものの、それを活用する能力は我が家にはなく、モクモク村のケンちゃんという紙芝居があったのをぼんやりと覚えているくらいだ。これは学習歴には入らないだろう。


中学で勉強するまで意識的に英語を勉強したことはない。中学の時も英語塾はもとより、いわゆる学習塾に行くこともなくテスト勉強なども教科書の勉強と教育社のトレーニングペーパーという問題集を自分で解いていた程度だった。まあそれでも要領がよかったのか学校の成績はそれ程悪くなかった。


中学の頃に兄の影響でThe Rolling Stonesをはじめとする古臭い洋楽を聞くようになり、特に「ローリングストーンズ詩集」という本がうちにあったせいで、ミック・ジャガーに合わせて歌うという訓練と対訳を見ながら英語と日本語の表現の違いや単語を覚えるということは自然にしていたと思う。関係代名詞はその感覚で自然に理解できた。You can't always get what you wantというタイトルや"I got a woman who lives in a poor part of town...(Fool to cry)"という歌詞は良い例だけど、一方で "I can't get no satisfaction." や "Nothing I do don't seem to work" とか学校で勉強する文法の視点から見るとよくわからん物も立派に成立することも認識した。


そのせいもあってか高校でもそれなりに英語は得意な科目だった。高校は英語科もある公立高校だったが自分は普通科だった。それでも英語の定期テストで英語科の生徒を差し置いて順位が一位だったりしたこともあった。ただし勉強の目的以外で実際の生活の中で英語を使ったことはなかった。


高校の時も予備校などには短期間の夏期講習しか行ったことはないので、基本的に授業と教科書・副教材、それと自分で選んだ問題集だけの勉強だった。高校の時の英語の先生では二人印象に残っている先生がいる。授業のすべてを英語で進めていたT先生。「アメリカ人ならバカでも英語はしゃべれる。ただ英語が使えるだけじゃなく知的な英語を使えるようにならなければだめだ」とよく言っていた、厳しくて生徒からは恐れられていたけど私は好きだったF先生。自分の得意な教科だったからなのか他の教科の先生よりも良く覚えている。


いわゆる受験参考書として、今でも覚えているのは「英文法標準問題精講(旺文社)」、駿台伊藤和夫氏の「英文解釈教室」、あと桐原書店の問題集。単語は「試験に出る英単語」くらい。後は赤本で過去問を演習したくらい。構文などの文法問題や単語はとにかく自分の手で書き写すことをひたすら繰り返した。長文読解は数をこなした。


受験のための勉強に加えて役に立ったと思っていることが一つある。畑正憲(ムツゴロウさん)の自伝に「英語はポーの'黒猫'をまるごと暗記したらできるようになった」と書いてあったので、似たようなことをしてみようと思い英語で小説を読んだ。最初に読んだのはペーパーバックに比べれば安く手に入った講談社英語文庫の村上春樹作品の英語版だった。「風の歌を聴け(Hear the wind sing)」を最初の10ページ弱位暗記したように覚えている。"There is no such thing as perfect writing just as there is no perfect despair." だったかな。日本語で何度も読んだことのある本だったとはいえ英語の本を読み切ることができたというのも自信になった。村上春樹氏の英語勉強法「単語などわからなくてもバリバリ英文を読み続ける」も参考にして、とりあえず英文のリズムやいいまわしに慣れるようにした。


大学に入ってからは、「英語は結構できるようになったから」という壮大な勘違いに基づいてドイツ語を勉強したけど、ほとんど身にはつかなかった。ドイツ語検定3級は取得したものの、今では98%くらい忘れた。


英語に関しては大学時代にはほとんど勉強しなかった。受験勉強の知識で「英語」のクラスはこなしていけた。将来どんな仕事をするかなんていうビジョンは皆無で、今時の学生のように就職を考えてTOEICで良い点を取っておくと役に立つかも、なんて発想は全くなかった。バブル崩壊後数年の頃、文学部の学生に将来はグローバルな資本主義経済の中で生きていかなければならないなどという認識はゼロであり、特別に英語に焦点を当てて勉強しようという動機はなかった。


大学3年の時に初めての海外旅行でタイに行った時が実戦で英語を使った最初の経験だった。とても簡単なことしか話せてはいなかったと思うけど、「ふーん学校で習った事がつかえるんだ」と思った。大学生活も最終盤になって卒業旅行で友人とインド・ネパールを一月くらいバックパッキングした。この旅行は自分の「英語」にまつわる経験の中で最初の大きなものだった。一緒に旅行した友人二人に比べると英語は話せたので、宿をとったり列車の切符を買ったり悪徳商人と交渉したりする中で「とりあえずしゃべって見る。会話の中で相手が使った表現を自分でも他の機会に使って見る」という事を実践できた。でもこれをきっかけに英語を熱心に勉強したというわけでもない。


大学をでて人並みに会社で働くようになりはしたが、配属された職場は全く英語とは無縁の部署だった。1年位して少し仕事にも慣れてくると、平凡な私は「このままでいいんだろうか」とありふれた悩みを持ちはじめた。昼休みにDUO2.0を読んで英単語を覚えようとした。でもそんなに真剣に取り組んだわけではなく、最後のページまで開いたかどうか怪しい程度だ。同じころに、会社の別の部署で開かれていたネイティブの講師を招いての英会話クラブみたいな会にたまに参加したりしたが、これは転勤のせいであまり長く続けられなかった。


確か同じくらいの時期にNHKの「ラジオ英会話」を聞き始めた。杉田敏の「やさしいビジネス英語」はちょっと難しいなと思ったので、マーシャ・クラッカウアーの易しめの方を聴いていた。ほぼ毎日聴いていたけれど、途中で寝てしまう日もあったり、聞き流しているときも結構あったと思う。


ラジオ英会話を聴き始めて1年くらい経った頃に、「それじゃあ最近よく聞くTOEICというのを受けてみるとどんなもんだろうか。でもTOEIC用の勉強はしない。テスト対策したら実力じゃないから」と軽い気持ちかつ、努力はしないという姿勢でテストを受けてみた。その時の結果は855点だった。(当時申し込んだメールを見ると99年の第71回開催テストだった)想像以上に点数は良かったので嬉しかったことを覚えていると同時に、この位の知識でこんな点が出ちゃっていいのかとも感じた。しかし、この点数が後の生活を大きく変えた。


それからもラジオ英会話は聴いていたように思う。でも次の回に続けて受けたTOEICの点は805点に落ちたのでちょっとがっかりし、しかも仕事が忙しくなりラジオを聞くこともあまりできなくなっていった。そんなある日会社からアメリカに転勤するようにとの辞令がでた。TOEICの点数が良かったことが間違いなく大きな理由の一つだった。どんなことであっても数値で表すと人は信用しやすい。


転勤前にマンツーマンの英会話学校に会社が行かせてくれた。しかし日常会話のスピーキングはほとんどやったこともなく、「本当に」しゃべれない自分にかなりショックを受ける。今思い出しても嫌な気分になるくらいだけど、そんな状態のままアメリカでの生活が始まった。


やっぱり最初のころはしゃべれないのもそうだけど、人が話していることがわからないのがつらかった。買い物に行く度にキャッシャーに何と言われるかビクビクしていた。職場での毎日の会話で少しずつ慣れてゆくのと同時に、外国人向けのいわゆるESLのクラスにも行ってみたりした。それでも半年、1年とたってくるとESLのクラスでの外国人同士の間での会話ではちょっと物足りなくなってくる。働きながら近所の大学のMBAのコースに夜間通ってようと思い立つ。


外国人が入学するためにはTOEFLである程度の点数をとらなければならない。会社がいつまでアメリカで働かせてくれるかわからないこともあり、できるだけ早く始めたかったのでこの時は問題集を買ってひたすら解いてゆくのを、ひと月くらい繰り返した。結果は1回目の受験でCBT 260(当時はiBTはまだ無かった。換算スケールだとIBT 105相当)だった。「そんなに悪くないじゃん」と思ったもののその後受けたビジネススクール入試用のGMATではVERBAL 21(24 percentile)、AWAに至っては2.5 (5 percentile)と無惨な結果。日本人は得意なはずのQuantitativeでも44 (74 percentile)とぱっとせずトータル550に終わった。しかし地方大学のビジネススクールに入学することはできた。


それからの3年間は昼間は働き、週に二日(多いときは四日)夜間の授業を受けるという生活を送った訳だが、この時は当然「英語の学習」ではなく「英語で学習」となり、「大量の英文を読む」「長時間(1.5時間x2/日)の授業を聴き続けて理解する」「文章で自分の考えを述べる」「自分の考えをしゃべる(特にグループワーク時)」という訓練を強制的にやらざるを得なくなった。もちろんすべてが満足のいくレベルでできるようになったという訳ではない。特にしゃべるのはやはり難しい。しかし、これらの訓練を「義務」としてこなさなければ行けない環境に長期間身を置いたことは役に立ったと思う。GPA3.8(Beta Gamma Sigma)は結果としても割と良くできたんじゃないかと思う。卒業後も2年くらいアメリカに滞在して働いた。毎日の職場他での経験も英語によるコミュニケーション訓練にとても有効であったことは言うまでもない。


その後日本に戻って今も日常的に英語でのコミュニケーションが必要な仕事をしている。相変わらずスピーキングには苦手意識がある。


日本に帰ってから英検1級を取得した。英検1級は単語が難しいという噂を聞いていたので「英検Pass単熟語1級(旺文社)」という本を購入した。平均的には各ページに知らない単語が7割くらいという感じだったが、最初の数ページを勉強して飽きてやめてしまった。単語を暗記で詰め込むのは30代後半にはキツい。それ以外には特に英検用の勉強はしなかったけど、リーディングとリスニングはほぼ満点。最初の無意味に難しい単語問題はいくつか間違えた。2次の面接も特別な対策はせずに合格したがそんなに点数は良くなかった。


最近仕事で英語を使う以外でやっていることは、通勤時にPodcastを毎朝聞くこととkindleも使って英語の文章を数多く読むこと。
Podcastはこんなのを聞いている。


kindle無料の本がたくさんあるので、古典が好きな私にはとても嬉しい。今は「罪と罰」を読んでいる。Kindleは辞書を引く挙動がのがもう少し早ければ何の不満も無い。iPadも欲しいけど本を読むのはKindleで今のところ間違いない。何と言っても軽いし、カバンに放り込んでおいてバッテリーが何週間ももつ。


自分の英語学習歴(と言っていいのだろうか?)を振り返ってみると、あまり地道に「英語を勉強」したという記憶が無い事に気づく。「英語」の参考書や問題集を使っての勉強は大学受験と、他にあえて言えばTOEFL,GMATを受ける前にしたくらいだ。一応受験勉強を通じて英語の構造の基礎を勉強した上で、海外旅行と海外滞在である程度のアウトプットの訓練を(しかもアメリカ滞在は自腹を切らずに)できたというのが幸運だったのだろう。だから「受験英語」と蔑んだ言い方をするのは好きではない。ある程度の年齢から外国語を身につけるのに文法のような構造から入ってゆくのは習得の効率の点から考えて合理的だ。


結局のところ読んだり聴いたりというインプットも、話したり書いたりというアウトプットは数をこなすこと、練習を何度もすること以外に身に付く方法はない。よく思うのだけど言語というのは勉強というよりスポーツに近い。ルールをある程度覚えたら、その場その場の状況に応じて適切なボールを投げたり、投げられたボールを打ち返したり、そこに様々な回転や角度をつけてみたりする、などということは頭の中で考えてもできるようにはならない。その場に直面して、緊張感を持って対応することで初めて経験が記憶に残ってゆき、能力が定着してゆくのであって、これはスポーツや楽器の習得に似ていると思う。だから、モチベーションを持ってそれを維持してゆくのが何にも増して必要というわけだけど、なにも英語に限らない一般論になってしまった。


参考書類まとめ

ローリングストーンズ詩集

ローリングストーンズ詩集

英文法標準問題精講

英文法標準問題精講

英文解釈教室 改訂版

英文解釈教室 改訂版

試験にでる英単語―実証データで重大箇所ズバリ公開 (青春新書)

試験にでる英単語―実証データで重大箇所ズバリ公開 (青春新書)

風の歌を聴け―Hear the wind sing 【講談社英語文庫】

風の歌を聴け―Hear the wind sing 【講談社英語文庫】

DUO 3.0

DUO 3.0

たっぷりラジオ英会話 (NHK CD‐extra book)

たっぷりラジオ英会話 (NHK CD‐extra book)

TOEFL CBT Exam with CD-ROM: Third Edition (Kaplan Toefl Ibt)

TOEFL CBT Exam with CD-ROM: Third Edition (Kaplan Toefl Ibt)

英検Pass単熟語1級

英検Pass単熟語1級

フレーミング・リップス見てきたぜ

迷ったけど、仕事を早引きして当日券買ってThe Flaming Lips見てきた。やっぱ仕事なんかサボって大正解だね。暫くはこの記憶でご飯が何杯でも行けそうだ。

Wayne Coyneかっこよすぎる。
前座のMEWっていうデンマークのバンドはあんまりよくわかんなかったけど。なんかダークだったな。

そのWayneのエッセイをラジオで聞いたのを思い出した。
http://m.npr.org/story/7572601
I believe we have the power to create our own happiness

R-TYPE on iphone クリアしたぜ


R-TYPE on iphone Normalモードクリア。PC-88VA時代からの宿願を達成みたいな感じ。

kindle買ったぜ

3Gのkindleを買った。英語も日本語も古典だったら読み切れないくらい無料で読めるのがいい。e-inkも思ったほどページ切替が気にならない。本当はカバーなんかは付けずにいたいんだけど、さすがに無造作にカバンに突っ込んでおいて画面が傷だらけになってしまうのも嫌なのでカバーは自作した。材料は100円ショップで売ってたB6サイズのダイアリーのカバー、同じく100円ショップで売ってたパジャマ用ゴム、それと家にあったフェルト。四隅のゴムをフェルトに縫いつけてそれを合皮のカバーに接着剤で貼りつけただけ。500円もかかっていないけど、サイズも完全にぴったりだし、カバーを反対側にも折りたたんで片手だけで持ちやすいようにできたのでとても気に入っている。






ホームレスが壊れかけのRadioを歌ってた

友人が殺人者になった


アメリカにいた頃の友人が奥さんを刺し殺した。


彼は中国出身の化学者で、上海の大学を出て東大の院に留学していたこともあり


英語よりも日本語のほうが得意なくらいだった。


彼とは同じ職場で4年くらい働いた。


どちらかといえば内気な方だったかもしれないけど


人当たりの良い性格で、機会があれば家族のことやアメリカでの生活のことなどを


とりとめも無く話した。


彼の奥さんとも何度か会ったことがある。綺麗な女性で初めて会ったときは


正直少し驚いたくらいだ。彼女も中国出身で学生の頃からつきあっていたという


ことだった。彼女はアメリカでCPAとして働いていた。


クリスマスのパーティで一人息子と家族でサンタクロースと写真に収まり、ごく普通の家族に見えた。


僕がアメリカを離れて一年と少しが経ち、何かの機会にメールでもしようかと思って


いた矢先、アメリカでの会社の同僚から彼の名前がタイトルになったメールが届いた。


一文目の「XXXX is in deep trouble.」を読んでも、「また心配性の彼がなにか悩んでるのかな」と


思っただけだった。「he stabbed his wife multiple times and she died.」 ーー 沈黙


沈黙と信じられなさと恐ろしさ、そして思考停止。


どれくらい画面を見ながら固まっていたか覚えていない。


しばらくはニュースを検索してみようということも思い浮かばなかった。


思いついてみても検索窓に彼の名前をタイプすることには努力が必要だった。


Googleは情け容赦なく検索結果を表示してくれて、すでに地元のテレビ局のレポートが


動画で配信されていることがわかった。


正直その日は動画を見ることはできなかった。文章で読むだけで精一杯だった。


どのソースも警察発表をもとにしているらしくほとんど同じ内容だった。


ーーーー


XXXX(43)が警察に「妻を殺したように思う」と電話をかけた。


警察が現場(自宅)に到着してみると彼は血まみれの姿のままで庭で待っていた。


自宅内部では奥さんが血まみれになってキッチンの床に倒れていた。


上半身には15〜20ヵ所の刺し傷があった。凶器のナイフは家の中で見つかった。


奥さんは病院にヘリコプターで搬送されたが到着時に既に死亡していた。


彼は逮捕、容疑は当初の傷害から殺人になった。彼は落ち着いており捜査に協力的では


あるものの動機は未だに不明。


事件当時息子は学校に行っており現場にはいなかった。


息子は警察により学校で保護され、現在は親戚宅にいる。


近所の人の話では仲の良さそうな家族だった。


ーーーーーー


なぜ? どうして?という以外に思いつく言葉が無かった。彼や彼の奥さん、息子と交わした


会話の場面場面が思い出される。何の異常性も無い、日常的な話題。普通、ありきたり、平凡、


そんな会話。


でも今の事実は、奥さんは苦痛に満ちた死を死に、彼は冷たい牢獄の中にいる。彼の頭の中に


どんな感情があるのか、それは全く想像がつかない。ましてや息子の心中は?


多少なりとも落ち着いたような気になった翌日、ニュースの動画を見てみる。繰り返し彼の名前が


アナウンサーによって呼ばれ、画面いっぱいに容疑者としての彼の顔写真が映し出される。


まともに直視することができない。


犯行現場である自宅の映像。そこに写るのは、彼が「30年ローンだよ〜」と


言って3年前くらいに買った家。そしてガレージの前にはほぼ毎日見ていた彼の通勤用のカムリ。


何度も一緒に昼食を食べにいくときに乗せてもらったその車、パンクしたときにはスペアタイヤへの


交換を手伝ってあげたこともあるその車は犯行現場の黄色いテープの中に停まっていた。


混乱。今に続く混乱。


なぜだ? たとえどんな事情があってもこんな手段に訴えるような人間じゃないと思ったのに、という


あまりにも大きな、自分の知っている世界と、現実におこってしまった世界の溝。


そこに何か納得できるような説明の架け橋が架けられることはあるんだろうか。


本人に話を聞くことなど到底できなくなってしまった今。