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石原慎太郎のフランス語がどうとか言う発言のバカバカしさはどうでもよいとしても、言語としての数の数え方は数学的能力にどれくらい関連するのかなあと思って調べてみた。世界の言語の数体系というページでいろいろな言語での数の数え方がわかるが、日本語は簡単なほうでよかったなあと思うくらいにいろいろな数え方があるものだ。言語における不合理さというのは、その言語を母国語とするものにとってはわかりづらく、日本語でものの数え方がものによっていちいち異なるとか敬語だとかそういうのも言語体系の合理性という意味で見たら、不合理だろう。それではその不合理さが思考にまで影響するのかどうか。各国の一般的な数学的思考のレベルを比較するのに適当かどうかはわからないが、OECD各国の学力比較をこちらのページで見ることができる。これを見るとフランスはまあ良くも悪くもない平均あたりのポジションにある。アメリカ人は数学ができないというのはよく聞くうわさで、本当にそうだなと思うこともあるし、この統計を見ると実際かなり下位にランクしている。English words may hinder math skills developmentや、Visualization and Explicit Number Naming as a Foundation for Children's Early Work in Mathematicsのように、英語は東アジアの言語に比べて数の数え方が不合理なのでアメリカの子供たちは数学が苦手だとする研究もある。実際の順位を見てみると、上位では香港、韓国そして5位に日本とアジアの一から十までを覚えればあとはその組み合わせと百や千などを覚えるだけですべての数が数えられる国が入っている一方で、フィンランド(11-19以外は1-10の組み合わせでわかる。英語と同じ?)やオランダ(ドイツ語と似ている、11-19は英語と同様特別な言葉。二桁の場合は一桁目から先に数える。例:21は「いちとにじゅう」といった感じ。)、リヒテンシュタイン(公用語はドイツ語)など東アジア系の言語ほどは数え方が合理的でない言葉も上位にきている。逆にフランスよりも下位に来ている国を見てみるとオランダとほとんど同じ数え方をするドイツやそれよりもシンプルな英語を使うアメリカ、英語とほとんど同じ数え方をするノルウェー語などフランス語よりもよほどシンプルな数え方をする言語を使用している国が多数あり単純に数の数え方が数学的な能力に直結するという意見に簡単には同意できない。それよりも国や家庭の教育に対する姿勢のほうがずっと重要な要素ということなのだろう。
それにしてもフランスというのはメートル法(SI単位)というとても合理的な体系を作ることができたのになぜ数え方は複雑なのだろうな。アメリカでインチやマイルや華氏が使われ続けているのと同様に「われわれが困らないのだからいいだろう」というエゴがその理由のような気もするし、それがアジア各国やフィンランドリヒテンシュタインなどの辺境や小国家に教育レベルで抜かされている理由のような気もする。そしてまたそんな狭量さ、尊大さが石原慎太郎のくだらない世界観にも通じてゆくのだろう。