友人が殺人者になった


アメリカにいた頃の友人が奥さんを刺し殺した。


彼は中国出身の化学者で、上海の大学を出て東大の院に留学していたこともあり


英語よりも日本語のほうが得意なくらいだった。


彼とは同じ職場で4年くらい働いた。


どちらかといえば内気な方だったかもしれないけど


人当たりの良い性格で、機会があれば家族のことやアメリカでの生活のことなどを


とりとめも無く話した。


彼の奥さんとも何度か会ったことがある。綺麗な女性で初めて会ったときは


正直少し驚いたくらいだ。彼女も中国出身で学生の頃からつきあっていたという


ことだった。彼女はアメリカでCPAとして働いていた。


クリスマスのパーティで一人息子と家族でサンタクロースと写真に収まり、ごく普通の家族に見えた。


僕がアメリカを離れて一年と少しが経ち、何かの機会にメールでもしようかと思って


いた矢先、アメリカでの会社の同僚から彼の名前がタイトルになったメールが届いた。


一文目の「XXXX is in deep trouble.」を読んでも、「また心配性の彼がなにか悩んでるのかな」と


思っただけだった。「he stabbed his wife multiple times and she died.」 ーー 沈黙


沈黙と信じられなさと恐ろしさ、そして思考停止。


どれくらい画面を見ながら固まっていたか覚えていない。


しばらくはニュースを検索してみようということも思い浮かばなかった。


思いついてみても検索窓に彼の名前をタイプすることには努力が必要だった。


Googleは情け容赦なく検索結果を表示してくれて、すでに地元のテレビ局のレポートが


動画で配信されていることがわかった。


正直その日は動画を見ることはできなかった。文章で読むだけで精一杯だった。


どのソースも警察発表をもとにしているらしくほとんど同じ内容だった。


ーーーー


XXXX(43)が警察に「妻を殺したように思う」と電話をかけた。


警察が現場(自宅)に到着してみると彼は血まみれの姿のままで庭で待っていた。


自宅内部では奥さんが血まみれになってキッチンの床に倒れていた。


上半身には15〜20ヵ所の刺し傷があった。凶器のナイフは家の中で見つかった。


奥さんは病院にヘリコプターで搬送されたが到着時に既に死亡していた。


彼は逮捕、容疑は当初の傷害から殺人になった。彼は落ち着いており捜査に協力的では


あるものの動機は未だに不明。


事件当時息子は学校に行っており現場にはいなかった。


息子は警察により学校で保護され、現在は親戚宅にいる。


近所の人の話では仲の良さそうな家族だった。


ーーーーーー


なぜ? どうして?という以外に思いつく言葉が無かった。彼や彼の奥さん、息子と交わした


会話の場面場面が思い出される。何の異常性も無い、日常的な話題。普通、ありきたり、平凡、


そんな会話。


でも今の事実は、奥さんは苦痛に満ちた死を死に、彼は冷たい牢獄の中にいる。彼の頭の中に


どんな感情があるのか、それは全く想像がつかない。ましてや息子の心中は?


多少なりとも落ち着いたような気になった翌日、ニュースの動画を見てみる。繰り返し彼の名前が


アナウンサーによって呼ばれ、画面いっぱいに容疑者としての彼の顔写真が映し出される。


まともに直視することができない。


犯行現場である自宅の映像。そこに写るのは、彼が「30年ローンだよ〜」と


言って3年前くらいに買った家。そしてガレージの前にはほぼ毎日見ていた彼の通勤用のカムリ。


何度も一緒に昼食を食べにいくときに乗せてもらったその車、パンクしたときにはスペアタイヤへの


交換を手伝ってあげたこともあるその車は犯行現場の黄色いテープの中に停まっていた。


混乱。今に続く混乱。


なぜだ? たとえどんな事情があってもこんな手段に訴えるような人間じゃないと思ったのに、という


あまりにも大きな、自分の知っている世界と、現実におこってしまった世界の溝。


そこに何か納得できるような説明の架け橋が架けられることはあるんだろうか。


本人に話を聞くことなど到底できなくなってしまった今。